絶賛墜落中の空中遊園地

大地とキスするまでに遊び倒せ

MIDIキーボードって必要?

DTM と電子ピアノ - 絶賛墜落中の空中遊園地

 

あなたが鍵盤弾きなら必要だ。

61鍵以上のものを用意しよう。サスティーンペダル端子が付いているものをちゃんと選ぶ。もし、ピアノを主力に弾いていく(きた)なら電子ピアノや、選択肢は少ないが88鍵のマスターキーボードも視野に入れたい。

ただし、既にMIDIなりUSBなりでパソコンに接続できる鍵盤楽器を所持しているなら不要だ。そちらを使えば良い。

 

あなたが鍵盤をある程度扱えるなら、あると便利だ。

25鍵あたりの小型のものを一つ用意するとメロディやベースラインが手弾きできて便利。和音の積み方を探るのにも便利だろう。

 

あなたがもし、まったく鍵盤を扱かったことがなく、これからも扱うための努力をするつもりがないなら不要だ。邪魔なだけである。

DTMはマウスだけで問題なくできるし、パッドコントローラーを使ってDJっぽくトラックメイキングするって手もある。

 

 

鍵盤弾き向けの話は別でしようと思うし、不要な人の話はもう終わったので。ある程度鍵盤を扱える人向けの話を続ける。

 

 

リアルタイムにうまい演奏はできずとも、それなりに鍵盤を扱えるなら25鍵くらいのものが机の上でじゃまにならず便利と思うので勧めた。2オクターブあれば片手で使う分には困らない。トランスポーズ(音域変更)をよく使うことになるので、操作しやすいボタン配置になっているかだけ注意して欲しい。

もし将来的にはもう少し弾けるようになりたいと思っているなら。49鍵以上にしたほうがいいかもしれない。両手を使って演奏するなら61鍵はないと苦しいが、49鍵あればとりあえず両手を使う練習くらいはできる。

ちなみにカタログスペックだけ眺めると鍵盤が多いほど良いものと思う人もいるかもしれないが、自分が使える範囲を超えた鍵盤数だと使い勝手が悪くなって邪魔なだけなので必要十分なサイズに押さえるのが大事だ。

大は小を兼ねない。

 

他に気になるのは鍵盤の質だろう。本当にピンきりで、61鍵で1万円そこそこのものと49鍵でも5万するものの差に首を傾げるのも仕方ない。ピアノ鍵盤を意味するハンマーアクション鍵盤が存在する88鍵はともかく、61鍵以下だと全部鍵盤はセミウェイテッドと書かれてるだろうから、カタログとにらめっこしてもよくわからないだろう。

なにが違うのかと言われれば、楽器としての質が違う。鍵盤の弾き方で音色や音量のコントロールがしやすいほど良い鍵盤。質が悪いとペコペコしていてON/OFF以上の情報を上手く表現できないスイッチみたいなものだったりする。ある程度弾けるようになればさわるだけでわかる明快な差なのだけど、最初はよくわからないと思う。鍵盤自体の質が気にならない頃に高い鍵盤を買うのも悩ましい。どうせ後で不満は出てくるだろうし、最初は割りきって安いものを買うのもひとつの手だろう。

 

ハードウェアとしてはこんなトコロ。後はバンドルソフトウェア。

既に色々とソフトシンセやサンプラー音源を持っているならバンドルソフトウェアなんてなくて構わないが、これを機に色々揃えようという人はお得な商品を買うとちょっと嬉しい。

Korg の microKEY 61 は1万円ちょっとで定価2万円のKorgのソフトシンセ群がついてくるので、お得な例といえる。ただ、61鍵なのにサスティーンペダル端子が無いし、ミニ鍵盤だし、ハードウェアのほうがちょっと中途半端ではある。

他にもDAWの廉価版がついてくるものとか色々とあるので、そういう方向から選んでみるのも悪く無いと思う。

音楽性と演奏技術

難しいテクニックを駆使する演奏はやっぱり凄い。自分がかじった楽器で難しい演奏をされると、難しさがある程度実感を持って理解できるためさらに凄まじいものに思える。自分の知らない楽器でも速弾きみたいな素人目にもわかりやすい凄まじさがあれば十分その凄さは普遍性を持つ。

ところで。世の中には自分よりずっと優れた技術の持ち主がいっぱいいる。これはどれほど上手くなっても変わらないことと思える。少なくともほんとに世界一だと自分で確信できない限りは。自分より凄い人の演奏に打ちのめされてやる気が無くなることもあるだろう。実際身近に素晴らしい演奏をするのにある日突然やめてしまった人を知っている。自分の限界を感じたとか。心が折れる音を聞いたことがある身としては、ソレを否定する言葉は持たない。

たださ。音楽は演奏技術をひけらかすことじゃないし、演奏技術は目的ではなくて手段にすぎない。音楽の目的は表現すること、いや。いっその事、音を出して楽しくなればもうそれで十分だ。その楽しさを自分だけのもので止めず聞く人まで共有させる。そのための手段として演奏技術はあればあるほどいい、ってだけで。

始めたのは子供の頃なギターも、始めたばっかのピアノも、まぁさっぱり満足に弾けない。ただ弾いてるだけで楽しいし、ちまちまとした進歩が一応は自覚できている、ってのは嬉しいことだし。そういう小さな積み重ねを遠い昔に終えてるからこそ、一線級の人たちは凄いプレイができるんだろう。

ピアノ始めてすぐの頃、大人の身で幼稚園児みたいなフレーズを練習するのは結構きつかったりしたけど。そんな状況から楽しんで見せないとこの長い道を歩くのは大変みたいだ。うん。

デイヴ・リミナの『プレイヤーとしてのレベルがどうであれ、音楽的で表現豊かな演奏をすることは可能です』って言葉は今はまだ下手な未来の一線級プレイヤーの心の支えになると思う。自分の演奏技術で可能な範囲を、いろんな表現を用いて可能性を探る。それが結局は技術を進歩させるし、音楽を楽しみ続けられると思うんだ。

演奏技術的に容易な演奏が、音楽的に稚拙な演奏とは限らない。
そのことを忘れず、楽しむことを忘れず、技術の向上に努めていきたいね。