絶賛墜落中の空中遊園地

大地とキスするまでに遊び倒せ

音楽性と演奏技術

難しいテクニックを駆使する演奏はやっぱり凄い。自分がかじった楽器で難しい演奏をされると、難しさがある程度実感を持って理解できるためさらに凄まじいものに思える。自分の知らない楽器でも速弾きみたいな素人目にもわかりやすい凄まじさがあれば十分その凄さは普遍性を持つ。

ところで。世の中には自分よりずっと優れた技術の持ち主がいっぱいいる。これはどれほど上手くなっても変わらないことと思える。少なくともほんとに世界一だと自分で確信できない限りは。自分より凄い人の演奏に打ちのめされてやる気が無くなることもあるだろう。実際身近に素晴らしい演奏をするのにある日突然やめてしまった人を知っている。自分の限界を感じたとか。心が折れる音を聞いたことがある身としては、ソレを否定する言葉は持たない。

たださ。音楽は演奏技術をひけらかすことじゃないし、演奏技術は目的ではなくて手段にすぎない。音楽の目的は表現すること、いや。いっその事、音を出して楽しくなればもうそれで十分だ。その楽しさを自分だけのもので止めず聞く人まで共有させる。そのための手段として演奏技術はあればあるほどいい、ってだけで。

始めたのは子供の頃なギターも、始めたばっかのピアノも、まぁさっぱり満足に弾けない。ただ弾いてるだけで楽しいし、ちまちまとした進歩が一応は自覚できている、ってのは嬉しいことだし。そういう小さな積み重ねを遠い昔に終えてるからこそ、一線級の人たちは凄いプレイができるんだろう。

ピアノ始めてすぐの頃、大人の身で幼稚園児みたいなフレーズを練習するのは結構きつかったりしたけど。そんな状況から楽しんで見せないとこの長い道を歩くのは大変みたいだ。うん。

デイヴ・リミナの『プレイヤーとしてのレベルがどうであれ、音楽的で表現豊かな演奏をすることは可能です』って言葉は今はまだ下手な未来の一線級プレイヤーの心の支えになると思う。自分の演奏技術で可能な範囲を、いろんな表現を用いて可能性を探る。それが結局は技術を進歩させるし、音楽を楽しみ続けられると思うんだ。

演奏技術的に容易な演奏が、音楽的に稚拙な演奏とは限らない。
そのことを忘れず、楽しむことを忘れず、技術の向上に努めていきたいね。