のーまんずすかい、とひらがなで書くしかないようなあの子
No Man's Sky、発売日に買って、なんだかんだで110時間遊びつくしてあったりする。
買ってない人とかほとんどやらなかった人の声が大きくて辟易したりもしたけども、実際問題ゲームそのものも色々と辟易させてくれたので言及する気がなかなか起きなかった子でもある。
いや、110時間遊べたってことは楽しめたってことなんだけどね。やればやるほどしょうもないなーと苦笑させられる、ダメな子ほどかわいい系ゲーだったのは間違いない。
なにがしょうもないかを個別に語ると、くどくどしてしまう。のでさっぱりまとめると、要するにNo Man's Skyは発売された状態が依然としてまだゲームではない素体だった、という話になる。
無限に広い自動生成フィールドがゲームを作るための素材として素晴らしいのはそこを旅して回るだけで110時間使えたことから明らかだが。普通のゲーマーは探索できるマップを投げつけられただけで喜ばない。現代のゲームは砂場ではなく遊園地であるのが基本なのでなおさらだ。そりゃまぁ、これをAAAとして、期待の新作として売ったら騒ぎにもなるだろうなぁ、と思うしかないのだ。
一方でなにもない単に地形があるだけという自動生成フィールドそのものは、かなり魅力にあふれるものだった。徹底的に細部まで「わかっている」デザイナによって作られた地形と比較すれば、たしかにゲーム的な演出のなさにしょぼく感じる向きはいるだろう。
しかしこの、
誰かの意図で作られた訳ではない地形というのは、つまり自然と同じ
なのだ。それが一番の魅力なのだ。
思いがけず見かけた素晴らしい景色は、誰かが素晴らしく思われるように作った偽物ではない。電子データの世界で自然に生まれた一つの世界が持つ景色なのだ。この感動は、現実で旅して回って風景に感動するのと同じ方向性の体験だ。
ゲームにおいてこんな体験ができるというのは、もちろん初めての経験で。この体験には未来を感じた。強く、感じた。
ぜひともこの自動生成フィールドを使って、面白いゲームを作って欲しいものだ。ゲームデザイナを雇ったりしないかなこのデベロッパ。もしくは同等水準の自動生成技術をイケてるゲームハウスが身につけてくれないものか。
結局、No Man's Skyの宇宙には、惑星には。
誰もいなかったし、意味もなかったし、全ては始まる前から終わっていた。そもそも実装されてなかったからね。
銀河センターにもなにもなく、更に虚無感が増す、ない方がまだましな演出がちょろっとあっただけだったが。
それでも110時間の旅には意味があった。
無為に時間を使うが娯楽。
無限に広がる何もない宇宙の無限にある惑星をひたすら探検する一切の意味を持たない経験に意味を見出す人は、ひどい評判がついてしまった今作をやってみていいと思う。
この宇宙にだって意味がある保証などないのだから。
しめに、本作の旅で気に入った景色のSSを貼っておく。プレイした人はガンガン旅のスナップ写真上げるノリでネット上にSSをおいてくれるといいなーと思うよ。楽しいからね。
「この旅に意味は無い。だから最高なんだ」
— しーむと (@SHMT_) 2016年9月12日