絶賛墜落中の空中遊園地

大地とキスするまでに遊び倒せ

音楽理論とジャンルの常套句

コードの構成音・テンションノートとスケールとの関係と、アッパーストラクチャートライアドとしての捉え方の関係を整理したりしていた。

いわゆる音楽理論の話。

 

 

しかし音楽理論ってなんか胡散臭いし、いかにも音楽がつまらなくなりそうな言葉だ。勉強してみるかと本を開くとやたらごちゃごちゃとめんどくさそうな上によくわからない理屈をこね回してたりするからなおさらだ。上手い本か先生を見つけないと結構しんどい。

ただもし一度もトライしたことがないのに毛嫌いしているのであれば、理論って響に縛られすぎてるだけかもしれない。

 音楽理論は自分の感性や経験とは別軸で音楽を捉えるための一つの指針、道具だ。道具だから使い方次第、そしてその価値は使ってみないとなかなか掴めない。

  

ジャンルの常套句といわれるようなものを演奏技術の訓練を兼ねて反復練習するなんてのは皆がやることだけど、その常套句がなんで常套句として成立しているのか理解できると一気に見通しが良くなる。リズムだけ変形させて別ジャンルに変身させたり、音使いを変えて発展させてみたり、といったことができるようになる。

 できるだけ簡単なフレーズを用意して、フレージングの意味合いを音楽理論的に探ってみる。そうすることで、今まで感性や経験から捉えていた事が違って見えるかもしれないし、よりスッキリと整理されたシンプルかつ本質的な認識になるかもしれない。いずれにせよ、随分と見通しが良くなり、応用のさせ方、そのアイディアもワラワラと湧いてくるだろう。

こういう理論的な知識は直接に演奏技術や作曲技術をブーストしてくれるわけじゃないけれど(技術はやることでしか身につかない)、頭の中が整理されて今まで自分がやってきたことや聞いてきたことがスッキリ繋がることで、結果として演奏や作曲に役立つ。単独では無価値だけど、利用する・使う道具だと扱えばとても便利だ。

それに知識と経験が咬み合って整理されるというのはなかなか新鮮な感覚で、これは経験知を整理した音楽理論ならではなのかな、と思う。理論的整合性で頭の中が一気に整理される感覚自体は数学や物理でも存分に味わえるけど、それが自分の体の使い方と連結するってのは面白い感覚。

型にはまって型稽古をし続けると、身につけた時そこから先へとどこにでもいける自由が手に入る、ってのも普遍的な話だけど。無味乾燥でなんの役に立つのかわからないと感じることが多い音楽理論が、実は音楽的自由への特急券ってのは面白いな。

ここを通らないでたどり着くことも可能だろうけど、他者の知恵を有難く頂戴して楽をするのは知識を共有できる人間の知恵であって。こういう”お勉強”に抵抗がないなら演奏訓練の片手間に自分のペースで知識を整理しながら入力していくのがトータルでは楽に先へと行く道なのだろう。

”結局最後はみんなスケール練習に帰ってくる、なぜならそれが音楽的自由への道だからだ”ってな感じのことを養父貴もギタリストのための全知識で言っていた。それはたぶん、こんな感じのことなんだろう。

 

今日だけで随分と頭は煮えたけれど、引き続きコードの構成音・テンションノートとスケールとの関係と、アッパーストラクチャートライアドとしての捉え方の関係を整理していこうと思う。ちゃんと実践のフレージングと関連付けつつ、ね。